めてろぐ

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揺らせ激しくクンクン 君の...

 大学一年で恋をした京都の美少年も、本当をいうなら、男の子に限るなら初恋であったけれども、しかし、私は、自分の初恋は高校二年のとき、同級生の少女にしたのだと思っている

 すごくほっそりして、色の浅黒い、ちょっと目がガンチの美少女だった。いや、厳密にいって万人共に認める美少女だったかどうかはわからない。私はその人を、私がそのころ好きだった俳優(男!)に似ていると思いこんでから、好きになったのだから。じっさいは、たいして似てもいなかったはずである。

 その人と私は一年に二回とは口をきいたこともなかった。どういう性格で、どういう家の子なのかもいまだに知らない。静かだが知的で、成績もよかった。

(中略)

 しかし彼女については、とにかく、友達になろうと働きかけることさえしなかった。二年間、一方的に見つめ、あれこれとかって悩んだり悶々としたり、歌を読んだり詩をつくったり彼女のことを小説に書いたりし、あげく、いつのまにか熱がさめて、彼女をみてもまっ赤になることはなくなっているのにふと気がついたのである。とても、レズというようなものではなかった。あれは、そもそも、何だったのだろう。

 あこがれ、というには美化していなかった。彼女の肩のフケまでちゃんと気がついていた。幻想に恋している、というには、夢見る事が少なかった。それでいて、何の新しい発展もなく、その思いは二年間もの間、つづいた。中島梓 美少年学入門 173・174項)

 人間の、特にこどもの頃は、無条件なもの――とりわけ反省し得ないものに胸をつんざかれる事が誰しもあるのではないか。

 

数年前、私はどこでだったか、あるモノクロの実写映像作品を見て途方もない奇妙な感覚に陥った。仔細はよく覚えてはいないのだが、瓜二つの容貌をした双子のおばさんが、二人の共通する幼少期の過去について同時に語る、というものである。

奇妙な事に、その内容はどんどん食い違っていく。細部が異なっているというレベルではない。話の大筋そのもの、行為の主体や対象すら大きく異なり、別のものへと取り違えられている。まるで全く違う出来事を体験しているかのように。二人がズレたタイミングで語り終えた後の間、静寂は不気味で居心地の悪いものだった。

 

中年を過ぎた人間にとって、自分の若い頃の思い出というのは、多かれ少なかれ事実から乖離している。敗北を重ね、やがて狂気とテロルへ陥った全共闘の時代を生きた老人達が、それを場当たり的な若さの暴走と辛酸を舐めた屈辱の記憶ではなく、正義へと拳を掲げた青春の日々として懐古するように。

 

 あこがれ、というには美化していなかった。彼女の肩のフケまでちゃんと気がついていた。幻想に恋している、というには、夢見る事が少なかった。それでいて、何の新しい発展もなく、その思いは二年間もの間、つづいた。

 この思いは一体何なのだろうか。美少年学入門の中で中島梓――栗本薫は、美少年に熱狂しその魅力を分析し、あまつさえ少年派宣言などしてしまうロマンティックな夢見る少女から、地に足の着いた大人へなっていく。初恋を回想している時の彼女は立派な大人となり、悲しいシニカルさすら漂わせている。

そんな大人になった彼女が、夢見る少女であった昔の中島梓の、子供らしい理想化もなく、ただあるがままのものを見つめて、訳も分からず胸を苦しめた初恋のようなものを、あれはなんだったのだろうかと思い返している。

 

よく分からない、無条件なものに惹かれた過去を、尤もらしい理由付けもせず(彼女なら幾らでもそれが出来るだろうに)、肯定も否定もせずに、ただただ不思議がっている。

 

karapaia.com

 偽の記憶を信じる人はそこに感情移入をする事で更に偽の記憶をあたかも真実であるかのように思い込んでい可能性があるという。

 多くの人が”過去の記憶を保持しておきたい”と願うあまり、この事実に目を背け、自身の記憶が絶対的な物だと信じてしまう。

 

記憶とは不安定なものだ。人はこうあって欲しかった、と、慰めるように記憶を少しずつ変えていくような気がする。私にも幾らでも心当たりがある。手当たり次第に膏薬をつけて、これで仕方がなかったと冷笑してみせる。

 

中島梓にとって恐らく何か意味のある記憶が、歪められなかった事に対して、少しうれしく思う。

 

誇りの強要

「誇りを持て」という言葉を至るところで耳にする。

漠然としたイメージとしては、誇りを持つことはよいことのように思える。ポジティヴな自信があるという健全な印象を与える。それは個人を個人たらしめる重要なファクターだ。誇れるものがないよりはある方がよっぽど良い。私も誇らしい人間になりたい。

 

ただ、この言葉は私の知る限りでは大抵ナショナリズムの文脈で用いられる。

「誇りを持て」という言葉の含意は、自らの所属する団体への帰属意識を高める事へのプロパガンダであり、批判や検証を受け付けない宗教的な態度を要請する事であり、更に権威を高める為の罰則を根拠にした脅迫であり、傲慢であり、「コミュニティ」にとっての私利私欲への欲望である。

そこでは否定的な意見は権威とそれを持ち上げる「誇らしい」という感情によって抹殺される。

 

かつて私が所属していた学校では、全校集会の場で校長や教頭、教育指導の人間が前に立つ度に「伝統と実績ある我が校の一員である事に誇りを持ち、それに恥じないような生徒となる事」を啓蒙していた。

偏差値も大して高くない、校舎も古く、設備も上等なものとはお世辞にも言えなかった。褒められるのは図書館の蔵書量くらいだろうか。こんな学校を褒め称える人間が決して少なくないいらしいのは、地域の低俗世を表しているのだろう。

 

校則は前時代的で理不尽に厳しく、教員は人権意識や法の遵守という視野の欠けた野蛮な人間が多かった(授業も雑談もウィットに富んでいて面白く、生き方も好感の持てる先生もいたのだが、おかしな校風に対しては「まぁ、伝統だから」と消極的ながらそれに加担していた。)

ダブルスタンダードを振りかざし、差別意識を欠片も隠さない。そんな教員達のポリティカル・コレクトネスを著しく欠く発言――暴言も子供ながらに疑問に思った。私のようなアウトロー的態度の生徒に対して暴言を吐くのは、まぁ理解は出来る。権威に屈さない人間を権威は忌み嫌う。

ただ、学校の価値観に対して従順に従い、素朴ながらも勉学と部活に励む生徒が、なぜ容姿や生まれを教員から貶されなければならないのだろうか。

私も欠席が多い事を咎められ、暴力を振るわれた事がある。その教員は私が卒業した後の事ではあるが、教育委員会の糾弾を受け、退職させられたらしい。

非難すべき点は幾らでも思いつくが、この辺にしておく。

 

ただ一つだけ言うべき事は、この校風の目的とするところは、社会という抽象的な構造に対しての盲目的な忠誠心を受け付けて送り出す事だ。構造に対しての検証や批判的な視座は、マッチポンプ的に生き永らえている構造にとっては不都合なものである。

彼らの言う「誇りを持て」という言葉を翻訳すれば、権威に屈せよ、という事だった。

 

このエピソードだけなら、ただの時代に取り残され断絶された地方の悲しい出来事として、胸を痛めたとしても他人事として受け止められるかも知れない。

 

新右翼活動家に野村秋介という男がいた。朝日新聞へ押し入り様々な主張(ここでは割愛させて貰う)の為に立て篭り、「皇尊弥栄」を三唱後に拳銃自殺する。

彼の主張の中でこういうものがある「(GHQ・左翼的な自虐史観に対して)じゃあ子供達は一体何に誇りを持つのか。戦勝国側の論理ではなく自分たちの言葉で語らなくては。」

 

「子供達は一体何に誇りを持つのか」――彼は「誇りある国」を求めていた。これからの子供達の為にも。

 

昨今の世の中では「美しい国」など、輝かしい国体を目指すスローガンが多用されている。TV番組や雑誌などでは、日本人である事を誇らしく思うという内容の話が散見される。企業なども、我が社を誇りに思って、その一員である事を意識し、なおかつ経営者目線で働いて欲しいと主張するところは少なくない。その様相は、時折全体主義的なイメージが脳裏によぎる。

 

全体主義というのは、同質性・求心性を高めるために働く異分子排除のメカニズムが、合理的で効率的にコミュニティを維持する為に動いていると。専制や独裁制の変種でもなければ、野蛮への回帰でもない。近代が潜在的に抱えていた矛盾が現れてきただけだと、アーレントは説いている。

 

コミュニティは良いものだ。志を同じくした仲間と、楽しい時間を共有出来る。

楽しい時間を提供してくれたコミュニティには自然に帰属意識が芽生え、そこにいられる事を、誇らしく思う。

悪いのは、コミュニティへの参加を強要されることだ。

 

自由に参加、構成したコミュニティであれば、嫌になれば抜ける事も出来る。ただ、大きな枠組み、とりわけ国というものから抜け出す事は難しいし、国の動きは自分のあらゆる事に影響する。大きいがゆえに、自分では儘ならないそれに「誇りを持て」という。

 

抜け出す事が難しいと言えば、家族である。

家族という枠組みに対しても、一番に帰属意識を向けるべきものと信仰される。

親は子供に、自分達を誇らしく思って欲しいと冀う。同じく子供も、両親から愛され、誇りに思って貰える事を冀う。そのイデオロギーの前では多くの問題と悲鳴が見えないものとして、捻じ曲げられ、矮小化され、抹消される。

 

誇らしく思う事を強いるのは、誇る事だ。

誇るという事は、外面に向かって為される行為だ。

「ほら、こんなに凄いんだよ。こんなに幸せなんだよ。」と。

 

何が凄くて何が幸せなのかくらいは、自分で決めたい。

諸刃の希望、バーチャルYoutuber(2)

めておちゃんねるの..... めておだよ!!!

 

前回の記事ではバーチャルYoutuber(以下Vtuberとする)を人間の本質を切り落とした俗悪なものとこき下ろした。

皆様方には是非"本物"の人生を生き、その美しい時間を動画として切り取った輝かしいYoutuber達を見て、そして胸の奥に滾る何かを何卒感じ取って頂きたい。

今回は私が厳選した、至高の領域に達したYoutuberの中でも一際特徴的な存在感を放つ4人を簡単にではあるが紹介する。

 

オフ会0人 大物Youtuber syamu_game

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アドラー心理学の生んだサイコパス カツドン 

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人類史上初めて集団ストーカーに襲われた男 aiueo700

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 ZEUS!! たれぞう

 

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動画内での彼らの生き生きとした姿は、100年後の人々にも啓蒙と滋味を振り撒く古典として残り、私達の胸の跳ね馬を踊り高ぶらせたのと同じように感動を与えているだろう。

 

 

・syamu_game

www.nicovideo.jpオフ会0人という偉業を成し遂げた至高の大物Youtuber。

ゲーム実況、カラオケ、ダンス、旅行動画、作曲、小説の執筆など、多方面への驚異的な才能を発揮した、まさに至高の中の至高である。

syamuさんの本業は動画制作であるのだが、彼が片手間に執筆したゾット帝国騎士団の一部を抜粋した。見て頂きたい。

 大型肉食恐竜型ハンターは、小型獣型ハンターに振り向いて大きく口を開けて吠える。
 まるで獲物の邪魔するなと言われているようで、攻撃を止めて戸惑う小型獣型ハンター。
 小型獣型ハンターは大型肉食恐竜型のハンターに牙を向けて威嚇したり、吠えて威嚇している。
 大型肉食恐竜型ハンターはぶるぶると頭を振って小型獣型ハンターを片足で踏み潰す。
 大型肉食恐竜型ハンターに踏み潰された小型獣型ハンターは頭を上げて吠え、頭が地面に突く。
 小型獣型ハンターの紅い眼が点滅して消え、小型獣型ハンターからばちばちと火花が散っている。
 大型肉食恐竜型ハンターがオレに襲い掛かろうとしている小型獣型ハンターを銜えて放り投げ、口の中の砲口が伸びてキャノン砲で小型獣型ハンターを撃つ。
 小型獣型ハンターが空中で身体を起こすのも虚しく空中爆発する。
 大型肉食恐竜型ハンターは尻尾で小型獣型ハンターを薙ぎ払い、口の中の砲口からキャノン砲で小型獣型ハンターを撃っている。
 小型獣型ハンターが大型肉食恐竜型ハンターと戦っている。

かつてこれ程までに斬新な文章を想造した詩人が他にいるだろうか。 ラテンの詩聖ウェルギリウスギリシャの詩聖ホメロスでさえ、彼の卓越的な文才に比類すれば矮小な俗物だろう。

 

www.nicovideo.jp貝塚モーツァルトとも評されるsyamuさんの卓越した、いや常軌を逸脱した作曲スキルについても触れねばなるまい。彼は動画内でこう言っている。

「一日一曲、20分の曲を仕事に行くとき合間に1時間くらいで作っている。1年で350曲以上作っている。」

インタビュアーバッチリ先生こと岩崎サトシもその驚異的な作曲スピードに絶句している。まさに生きる芸術の栄華の極み、ルネサンスの輝ける天才レオナルド・ダヴィンチの如し!と言っても、ダヴィンチもsyamuさんと比較してはかわいそうである。アリとゾウさん程の、天と地ほどの差がある。月とスッポン程に差が開いている。

 

だが彼の本当の魅力は卓越した芸術の才能にあるのではない事は、syamuさんのファンなら誰も彼もが知っていよう。syamuさんが愛されるその最大の理由は快活で竹を割ったような、博愛に満ちたエンターテイナー精神にある。

「強い信念と明るい笑顔には奇跡の力がある」

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シンプルで力強く未来への希望を感じさせる"美事"なイデオロギーを掲げ、それを数々の動画で実践してきた至高の役者であり、あのHIKAKINですら彼に対しては一礼する事しか出来なかった。真夏の夜の淫夢という品性下劣なコンテンツに支配されたニコニコ動画に爽やかな新風を吹き入れ、皆を笑顔にしたたった一人でゲイセクシャルへの幻想と妄執に囚われた環境を覆してみせた。

 そんな彼は他のYoutuberの動画に対して、こう苦言を呈した事がある。

「おふざけが足りない」

おふざけとはつまり、笑いの事である。「強い信念と明るい笑顔には奇跡の力がある」と声高らかに宣言し続けた彼は、ユーモアが欠落したばかりかアフェリエイト広告収入を得る為の、場当たり的な人気取りに躍起になる見下げた量産型Youtuberに呆れているのだ。

残念ながらsyamuさんは既にYoutuberを引退してしまっているのではあるが、Vtuberに対してもこのsyamuさんの鋭い指摘は当て嵌っているのではないだろうか。

 

syamuさんの高邁なる信念はイタリア・オペラに変革を齎し、現代に至る最も重要な人物とされる――ジュゼッペ・ヴェルディが最後にたどり着いた境地、至高の喜劇ファルスタッフのテーマそのもの。「世の中全て冗談!」

ファルスタッフだけではなく、彼の動画や生き様にはヴェルディのオペラと共通する点が幾つもある。例えばネカマに対して「処女は100点、非処女は80点」と言い放つシーンは、「椿姫」の青年アルフレードが高級娼婦ヴィオレッタへの、プラトニックで純粋な愛とは裏腹に、彼女の賤業に対して苦悩する様を彷彿とさせるし、慰安婦像の間に厳かに座るsyamuさんは、「アイーダ」のラスト、地下牢でラダメスとアイーダが息絶え、華やかで優しいミゼレーレを背景に神殿から祈りを捧げるアムネリスのシーンにそっくりだ!

 

少し話が横道にそれるが、オペラというものは大変大掛かりな人員と労力が必要なものである。技巧を凝らした美しい歌声を万全の状態で披露するべくの徹底的なトレーニング、美麗なる衣装に大道具を作り、それらを観客へと届ける為の面倒な手配。それだけの手間を掛けたがゆえに人々を魅了しているのだ。

syamuさんはそれをたった一人でやってのけた。高邁なるエンターテイナー精神、大衆へ向けた笑いへの執念、それを可能にする卓越したセンスを以て実現した、まさに神業。人類は二度とこの領域へ達する事は出来ないだろう。

 

だがそんなsyamuさんにも欠点があった。

www.nicovideo.jpこの動画を見て頂けばお分かり頂けるように、お世辞にもダンスは上手いとは言えない。凡百の域を脱していない。

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しかも勃起している。

 

だがこの動画には洗練されていないダンスの裏に隠された真の意図がある。ハッピーシンセサイザというボーカロイドの人気曲を歌っているのだが、本家の歌詞と食い違う部分が多分にある。そこを抜粋する。

チッチッチッチ
ハッピシンセサイザ君の胸の奥まで届けるようなへよぉこのぉ音でぇ~
何度も出来ない アナィ ホィエィエ エイネ言葉 オンデオンデ伝えるよぉ~

ハッピシンセサイザ君の胸の奥まで届けるようなこのメロディ~
何度も出来ない ただ一つのこと~ばじゃけんのぅ ほいじゃけぇ~んのぉ~ ほいじゃけぇんのぉ~

ホォリィジャケェそやってそぉゆぅた~やろ そゆたや~ろがあ なんでぇえのぉ~
なんでそぉゆた~のに なんでゆ~ことぉなん~‥ンチャ いぇのぉ
エンシオンで 伝えるぜぇ~~
ハッピシンセサイザ君の胸の奥まで届けるようなこのメロディ~いぇあ

 

ただ一つのこと~ばじゃけんのぅ ほいじゃけぇ~んのぉ~ ほいじゃけぇんのぉ~

ホォリィジャケェそやってそぉゆぅた~やろ そゆたや~ろがあ なんでぇえのぉ~
なんでそぉゆた~のに なんでゆ~ことぉなん~‥ンチャ いぇのぉ

 

この部分の解釈はとても私からは説明出来ない。怖くて。ただ一つ言えることは、これこそがエピファニーでありサクラメントという事だ。

syamu学の専門家の記事を御覧頂きたい。

 

そしてsyamuさんを語る上で外せないのが、彼の魅力がゆえに征服された、個性的なキャラクターが集まるという事である。syamuさん単独でも素晴らしいのに、その周りにも才能が集まるとは... 一片の隙すら見せない完全無欠なコンテンツである。それらの一部を紹介しよう。

 

www.nicovideo.jpクソザコレスラー、シバターである。彼の露悪的で品のない芸風には流石の私も嫌悪感がアリアリなのだが、そんなシバターの善性をsyamuさんはイロニーを以て引き出している。

 

www.nicovideo.jp

いち早くsyamuさんの魅力を嗅ぎつけた男である。商魂逞しい。

 

www.youtube.com

 ここまでファンを狂喜乱舞させるスターもいまい。

 

さて、syamuさんの魅力をほんの一部ではあるが紹介させて頂いた。これだけ見ても、Vtuberに無いものを備えている事がお分かりであろう。皆様には資本主義の豚に食わせるようのコンテンツで満足するよりも、syamuさんのような"本物"を知り、満足した豚よりも不満足な人間で、満足した人間よりも不満足なソクラテスであって欲しい。

 

・カツドン

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不気味な人間である。

控えめに言ってその精神性は小汚い、有り体に言えば病人である。病気という言葉が相応しくないならこう言い換えよう、彼は本当に、救いようがない程に、面倒で可愛げがなく、アドラー心理学を都合よく振りかざし、責任を転嫁し、自己弁護を重ねる、厚顔無恥と堕落の極み。

さて、そんな擁護すべき部分が見当たらない彼だが、ゆえに目を覆いたくなるような人間の業、醜さをひしひしと感じさせてくれる。その上で、彼は自分の中に正義の心があると言う、歪んだ世界を正したいと言う。

どういったメカニズムで自分を正義と見做しているのか、彼の態度は本気そのものだ。強力な認知の歪みを感じさせる。世間一般的な正義とは大きく乖離している、歪みそのものと言ってもいいような彼が正義を標榜するのは――一体どういうことか。

 

www.nicovideo.jp

不愉快なタイトルには目を瞑って頂こう。

彼はこの動画の10:20~でこう述べている「カツドン気持ち悪っ!と、カツドンに対する"拒絶感"を抱いた者ほど、僕と同じものを持ってるって事だと思うんですよ。」

 

同族嫌悪という概念がある。「同じ種類や系統のものを嫌悪すること。自分と同じ趣味・性質を持つ人に対して抱く嫌悪感」と定義されている。皆さんも思い返してみれば、同族嫌悪を由来とした何らかの感情が芽生えた事がおありではないだろうか。

彼は、どの角度から見ても醜く受容し難い彼に対して――拒絶感を覚えたものはカツドンと同質の変態性や偏執性を内に秘めていると、視聴者に対しての宣戦布告をしているのである。

自傷を繰り返し、親と物に当たり、女児に対しての猥褻行為を行い、30にもなってハンガーを振り回している人間と同質のものを秘めていると言われたら、反吐の出るような思いがする。

 

殆ど全ての人間が、カツドンに拒絶感を覚えるだろう。全力でカツドンを拒否ろうとする我々に、彼は計画通りとばかりにニヤリと気味の悪い笑みを浮かべる――人間は皆カツドンと同質なのだろうか?

 

カツドン御用達の心理学から同族嫌悪について掘り下げていく。

カール・グスタフユングが提唱した概念で、影(シャドウ)というものがある。

「認めたくない自己、欠如しているがゆえに渇望しているもの、受け入れ難い現実や価値観」ゆえに内に抑圧されているものを言う。

私達はそういった影に対して嫌悪感を抱き、時折ヒステリーすら発症し、徹底的にそのものを抹殺しようとする。だがそこまでの感情を抱くゆえの、抉り出す事の出来ない血肉のような重大なものを抹殺しようとしているのだから、上手くいく事は稀だ。必ず痕跡が残る。

人間は不愉快なものを弾圧し、抹消しようとする性質がある。生得的に、社会的に、不愉快なものを我々は弾圧してきた。不愉快なものを倫理や道徳で押し込み、社会的なイデオロギーで炙り出し、法で裁く。

 

カツドンはその痕跡を想起させる。私達がその不愉快さゆえに抹消しようと努力したあらゆるものを、あの下卑た笑みによって否が応でも突き付けてくる。

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ここにVtuber達との対極がある。

生身の人間の醜さを排除し、美しいヴァーチャルの存在となって清廉潔白を貫く彼女達からは、我々が抹消しようと躍起になった不愉快なものは感じられない。だが我々はヴァーチャルではなく、現実に生きている。ふとした瞬間に訪れるありとあらゆる不愉快なものと戦わなくてはならない、弾圧しなければならない。

 

ライプニッツは「どんな出来事にも原因がある」「どんなことにも、そうであって、別様ではないことの、十分な理由がある」と充足理由律を唱えた。カツドンの無邪気な悪意に満ちた振る舞いにも、当然理由がある。

彼は、親からの愛情を受けられなかった事に対して深い執着を見せている。彼の被害妄想かも知れないが、妄想だとしてもアクチュアルな体験として残っている以上、その体験は彼の精神を歪ませる。歪んだ精神は、不愉快な現実を呼び更に精神を歪ませるよう作用する。

「学習性無力感」「ルサンチマン」「反知性主義」「ゼノフォビア」......etc

カツドンの親の教育がもう少し違っていたら、彼に手を差し伸べてくれる人がいれば、彼を心から愛してくれる女性がいれば、2chの人間が彼に対して慈悲を掛ければ、カツドンの醜さはなかったのかも知れない。カツドンだけではない、世の中の人間の醜さ一つ一つには、然るべき理由がある。誰かが為したふとした事が、誰かを苦しめ、カルマのように回り回って私達への不愉快さとなり襲い掛かってくる事もある。無論、それは私のふとした事が誰かを傷つけ、回り回って私に帰ってくるかもしれない。

カツドンは、世界の歪みが具現化した、そのものである。彼にとって自分を歪むように仕向けた世界を憎悪する事が正義であり救いなのだ。

 

カツドンは私達に問い掛けてくる。

歪みに対しての責任をどう捉えるか、己の中の醜さと向き合う事を、強要させる。

「カツドン気持ち悪っ!と、カツドンに対する"拒絶感"を抱いた者ほど、僕と同じものを持ってるって事だと思うんですよ。」

私達はカツドンに対して、どういった態度を取ればいいのだろうか。

 

・aiueo700

www.nicovideo.jp岩間。恐らく人類史上初めて、集団ストーカーという妄想を現実に変えた人間だろう。もしかしたら、精神医療の教科書に載るかも知れない。ここまで興味深い出来事は、人類史の中で二度とは起こらないかも知れない。

 

狂人である。狂ってしまった人間の支離滅裂さ、不合理な妄想に瀕する機会というのは、滅多にあるものではないが、その恐ろしさが彼によってはっきりと示されただろう。その一挙手一投足、ふとした発言の隅々までが、我々の胸を締め付け、張り詰めた空気を醸成するのに加担している。彼がそこにあるだけで、ドニゼッティのルチア狂乱の場を彷彿とさせる、尋常と断絶した狂気に満ちた世界が訪れる。

 

さて、彼自身も身の毛がよだつ程恐ろしいのだが、真に畏怖すべきは、彼の狂気に当てられ、熱狂を逆巻かせミームとして拡大し暴動を起こす人間達である。

www.nicovideo.jp www.nicovideo.jp www.nicovideo.jp彼に魅せられた者達は、方法こそ違えど狂乱に取り憑かれ岩間亭へと足を運ぶ。

 

チャールズ・マッケイは言う「いつの時代にも、その時代ならではの愚行が見られる。それは陰謀や策略、あるいは途方もない空想となり、利欲、刺激を求める気持ち、単に他人と同じ事をしていたいという気持ちのいずれかが、さらにそれに拍車を掛ける」

 

aiueo700は集団妄想と群衆の狂気を引き立てる、原因である。

 

ほんの些細な切っ掛けで、大衆は集団で発狂を始める。合理的な批判や検証を放棄して、まるで自分の意思など存在しないかのように、狂い酔う他人に追従する。人は他人の頭の中を覗き見る事など出来ないのに、もしかしたら自分以外はクオリアのない哲学的ゾンビかもしれないというのに、皆同じように他者にシンクロして、常軌を逸した妄想に取り憑かれ、狂気のエピゴーネンが徒党を組んで酩酊を続ける。

その様は余りにも理解に苦しむが、他人と同じ事をしていたいという欲望が不可解への衝動を駆り立てる。まるで奈落の底へと通ずる蠱惑の穴へタナトスを感じるかのように。

我々は長い歴史から学んでいる筈なのに。過ちや愚行が繰り返される事もそれが何故起こるかも、そのメカニズムは把握している筈なのに。実際に経験していないというだけで、はやる欲動を抑える事が出来ない。明らかな悪である差別と不寛容を狂気が巻き起こし、文明を人々から忘却させ野蛮状態へと還す。どれだけ技術が進歩しても、延々と空回りを続けるのみという事に、我々人類は昏い快感を覚えているのかも知れない。

 

aiueo700は危険な存在だ。悪の根源と言ってもいい。だが、悪それ自体は何もしない。悪を為すのは人である。

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物に成ることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

aieuo700の潰れたようなグロテスクな瞳には、魔力が秘められているのかもしれない。その奥の純粋なまなざしに、隠された欲望の対象があるのだろうか。ふと彼を見てみる、彼が見つめ返してくる。

 

「俺はお前が俺を見たのを見たぞ」

 

 

・タレゾ

タレゾとは、イデアである。

私が最も推しているYoutuberであり、神である。その素晴らしさは筆舌に尽くし難い。是非動画を御覧いただきたい。きっと貴方にも"理解る"だろう。

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・・・・・・ZEUS!!!!

 

諸刃の希望、バーチャルYoutuber(1)

「アイドルはうんこしない」――かつて私はこの言葉を耳にして腹を抱えて笑った。

何故笑ったか、コノテーションを理解出来なかったからである。それくらい――昔の私は純真で物を知らなかった。

俗悪な願いだと理解してはいるが、私はいつもアイドルのようになりたいと思う。

芍薬のような凛とした背筋、すらっと長い白い手足、明晰な頭脳、気高く咲き誇る白百合のような天真爛漫――ルーちゃん!!!!!

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有限のうちに落ち込む絶望は、自己を世間に「騙り取らせる」。その結果、ひとは自己自身であろうとするのではなく、他の人びと同じにしているほうが気楽で安全だと思い込んでしまう。

世間は知的、「美的」な偏狭さに無限の価値を与え、唯一の必要なもの、すなわち神への理解をもたず、自己自身を失っている。しかし、こうした絶望に対して世間は気づいていないし、それゆえにこそ世間の人びとは器用に立ち振る舞うことができるのだ。

キルケゴール 死に至る病より引用

私はルーちゃんになりたいと常々願い、公言している。馬鹿馬鹿しいとお思いだろうか。

 

 

さて、Youtuberが世間に受け入れられ、スマートフォンガラパゴス携帯を駆逐した後の世界を代表する大人気コンテンツとして君臨し始めてどれ程経つだろうか。トップYoutuberであるHIKAKINがアーリーアダプターからの人気を博した時、ネット界隈での彼への評判は最悪に近かった。多くのユーザーが「自己顕示欲の塊」「音の出るゴミ」としHIKAKINを誹り排外し続けた。そこから「聖人」「子供を笑顔にして稼いだ金で食う飯は美味いか?」と万雷の拍手を送られるようになるまで、評価を見直されるまでに随分と時間が掛かったと思う。

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だが彗星の如く現れた彼女――バーチャルYoutuberのキズナアイは、驚異的なまでに凄まじいスピードでネットユーザーの心を掌握した。まるで手塚治虫リボンの騎士が、同時代の他のまんがを刹那で過去のものにしたかのように。

クオリティの高い美少女の3Dモデルに、モーションキャプチャに依る躍動感溢れる動き&かわいらしくも外連味のある声で命を吹き込む――生身のYoutuber達から匂い立ち逆巻いていた悪臭は払拭され、誰もが望んだ美しい十全たる理想的な偶像が爆誕した。そう生まれられるのであるならば、誰もがキズナアイのように生まれたいと望むだろう。その姿は、世界精神が光に乗って回線を通っているかのようだ。

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イオニアたる彼女の後に続き、雨後の筍の如く次々とバーチャルYoutuberが誕生した。それぞれのキャラクターの個性も豊かで目立つ。いきなりのバリエーションはユーザーにとっては至れり尽くせりだ。ミライアカリ 電脳少女シロ 輝夜月 富士葵 ときのそら のらきゃっと…… 私がこの記事を書いている今この瞬間にも、新たなバーチャルYoutuberが生まれているに違いない。

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バーチャルYoutuber戦国時代とも形容されるこの時代、彼女達の動画は既存の生身Youtuberを追いやる破竹の勢いで環境を席捲し、覇権と共に新世代の産声を上げた。最早彼女達はアイドルの如き存在である。いずれ生身のアイドルのシェアの大部分に取って代わるだろう。(ゆえに少し前、彼女達が悪質ゲームサイトをRTした際に規模の大きい炎上が発生した。ミライアカリは色々きな臭い話も出ているようで、一部の界隈では荒れているようだ。)

私も期待に胸を膨らませて、彼女達の動画を色々と見てみたが……

 

正直に言う。期待外れだった。

 

決して悪い訳ではない。そもそも生まれたばかりの存在である。Youtuberというカテゴリの過渡期でもあるし、現段階で至高の段階を求めるのはナンセンスかも知れない。

だが重要な視座が欠落している。ゆえに今後の方針は既に確定したようなものだ。何より権力的なものへの服従が見て取れる。歴史の至るところで目にする権力への盲目的な服従というものに共通する点、真新しさがない。

だから労働者階級向けの卑しい娯楽の域を出ない。

 

バーチャルYoutuber、彼女達のやっている事は何だろうか。

オタクにとって馴染み深いコンテンツのよくばりセットに、コロンブスの卵的な表現方法で新たな人格を付与し纏め上げた――そこまでは良かった。革新的な存在であった筈なのに、手垢のついた既存のコンテンツを複合させただけのものとしか私の目には映らなかった。

かわいらしいアバターを使い、かわいらしい声で、既存のもの――アニメに声優やアイドルにYoutuberのコンテンツを追っている、資本主義の欲望に応えた、多少気の利いただけの本質的には卑しいオルタナティブでしかない。

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オタク達が彼女達を見て何を為したか?いつも通り、流行りものに対する姿勢通りに、何度も何度も何度も繰り返されたパターンをなぞるように、熱狂し、ファンアートを描き、性欲の対象とする...... 今もなお反芻されるそのパターンこそ、所詮は彼女らが代替物に過ぎない証左だ。

 

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ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。

 

だがそれの何が問題なのかと思う人も多いだろう。読者の皆様方は、それがユーザーの大きな支持を得ており、欲望を上手く刺激し熱狂させ、確かに楽しみを与えているのだから問題はないと思うだろうか?

 

いや問題だろアホかーーー(●`ε´●)

 

私が問題意識を抱いてるのは他でもない。Youtuberに潜んだ可能性を、彼女達を渇望するユーザーが、それを引き継がず、取るに足らないものとして忘れ去る事で、歴史から抹殺してしまうかも知れないからである。

 

大切なもの――それは数学者の業績と名誉の如く、凡俗の視点からは理解しがたい、全貌を掴めない程の複雑系ではあるが、確実に人生に必要不可欠と断言出来るものである。洞窟の中に潜んで、時折暗い影が蠢き、直視する事は難しいが、原初世界の無味乾燥に様々な彩りを与えてくれるもの。

それをバーチャルYoutuberという存在が毀損し、貶め、目に見えないものとしている。

 

それは生身のYoutuberにあった悪臭である。バーチャルYoutuberは人間に備わる直視し難い醜さ、歪んで淀んでいるゆえに、誰の胸の中にも潜むもの、伏線も脈絡もなくやってきて、否が応でも脳内に晦渋の電流火花を散らし、苦しむ必要に駆られる。ゆえに人間そのものである。それを、そこから発せられるものを切り落とす事で、誰もが望むような俗悪な理想的存在となった。が、同時に大切なものまで削ぎ落とし、切り落としてしまったのである。それはほんのふとした瞬間に表出するもの、カルマの螺旋の行き着く先の、悪徳と美徳と、そして偶然が重なり、人類の本質が表出したもの、エピファニー

 

それを切り捨て見て見ぬふりをして放棄するなど、余りにも馬鹿げた態度である。19世紀の頃のフランスでは「恋愛に成功するには」という一種の恋愛手引書が出た。女が男をひきつける為の卒倒の仕方や、ヒステリーの起こし方、果には自殺の仕方まで書いてあった。恋が行き詰まったときには"恋の詠嘆"とかいう台詞を述べると男を魅了出来ると手引されていた。商人や仕立て屋や職人など、相手の職業に合わせてのバリエーションまでおあつらえ向きに用意してあった。そんなバイブルに沿っただけの恋愛に、果たしてどんな意味を見出せばいいのか?

果実が手に入らないのなら、表面的なキスを凍りつくまで繰り返した方が楽しい――そんなにも世界は厭世的にならざるを得ないものだろうか。

 

だが、哀しい事に資本主義に支配された世界の脆弱性なのだろう。知者の啓蒙が意味を成さず、下劣な資本家のプロパガンダエピゴーネンが大手を振って歩き、真に価値あるものを駆逐していく。悪貨が良貨を駆逐していき、一部の者だけが良貨を寂しく抱えるのみ。人間の繰り返してきた愚かしさの一例がここにある。

 

しかして、バーチャルYoutuberが切り捨てたものを、ごくごく少数ではあるが至高の領域に達したYoutuberは持っていた。

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舞台に上がったスターの芸は、見ているものに興奮と――夢と希望に満ちた何かを与える。さながら基底状態にあった電子が、光子の力を得て励起するように、ファンは高揚し、それを自分の人生の一歩を進める為の原動力とする。一部の素晴らしい人間の行いが、公共の福祉、いや世界をアップデートする為の素晴らしい力添えになる。そういった人間の実存の為の生の営みを、バーチャルYoutuberという存在が刈り取ろうとしている。

 

だからせめて、その美しい営みを紹介し、皆様方には真に大事なもの、プラトニックなものを、胸の中に食い込ませ、どろどろに溶け合わせて、抉り出す事の出来ない血肉として頂きたい。

 

次の更新を待て、しかして希望せよ!

 

ウィィィィィィィィィィィィィィッス!!!!ど~も~syamuでぇ~す!!

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(2)に続く。

貴重な学生時代を原宿で過ごせないなんて地方の子はかわいそう

皆様方に座右の銘はあるだろうか。常に自分の心に留めておいて戒めや励ましとする言葉からは、その人間の人となりやアイデンティティが噴出する。だからユニークなものがいい。

私の座右の銘は「一度きりの学生時代を原宿で過ごせないとか田舎の子って可哀想」というセンテンスだ。ここまで心の奥底から頷ける強烈で含蓄那由多な言葉は、中々あるものではない。正確な情報は調べてみても分からなかったが、とあるJK読モが言った言葉らしい。

私はこの言葉をとても気に入っており、少し表現を変えて「貴重な学生時代を原宿で過ごせないなんて地方の子はかわいそう」と定期的にツイートしている。私の悲劇的なイデオロギーの根源を忘れない為に。

 

「一度きりの学生時代を原宿で過ごせないとか田舎の子って可哀想」――子供らしい素直さと高邁さと傲慢さが率直に出ている。私はこのセンテンスから大別して3つのイデオロギーを感じ、読み取った。

1つ目は「かわいさ至上主義」2つ目は「東京至上主義」3つ目は「青春至上主義」適切な表現とは少しズレているように思えるし、納得もいかないが他の表現を思いつかない……きゅう。そこは一旦置いておいて、どのイデオロギーも私の根底に流れるものだ。これらを簡単にではあるが説明しよう。

 

・1 かわいさ至上主義

頭いい人や(バカ特有の表現)女性解放主義者やポリコレマンが暴れているお陰で、まだまだ不十分ではあるが世界は公平に近付いている。(Desexualizationを是と盲信する主義やPC校長的な過剰さなど異を唱えたい事も多いが)

 

絶対的なものなどこの世にないかのように思えてくる時もある。

だが覆し難い価値観が存在するかわいいは正義

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この言葉はかわいい少女を描くロリコンまんが、苺ましまろのコピーであり、業界を超えて多くの人に伝わり世に広く啓蒙をもたらした。

古来より人はかわいいのお陰で一喜一憂し、人生を振り回されてきた。媚薬であり麻薬のような抗い難い魔力を放つもの、それがかわいい。男も女も関係なく求める力。

苺ましまろの作者ばらスィーは、繊細で精緻なタッチで絶対的な正義である少女を描く。ばらスィーだけではない、絵を描くものは、少女を理想的なものとして、時としてファナティックな崇拝を感じさせる程の情熱で描く。

 

少女は美やかわいさの典型であり極致というイデオロギーは、多くの支持を得ている。それはルッキズムを強力に補い支える。そして――どこの国でもそうだが、特に日本はルッキズムに支配されている。

 

原宿は個性的でかわいいが集まる街だ。

かわいい女の子、かわいい男の子も、変わったかわいいファッションやアイテムがたくさん。かわいいものに身を包み、SNOWなどで更にかわいさを増し、アイデンティティをかわいさで発露する少女たちが、かわいいものに囲まれて乙女時代を楽しむ光景は、さながらキッチュ野郎が脳内に描く天国の様相を魅せる。

 

さて、ならばかわいくないものは悪だろうか、対偶としてはそうはならないが……

だが皆様方もご存知の筈だ。かわいくないものがどう扱われるか。かわいさの素晴らしさによって、かわいさによるマチズモが世を覆っている現実を。

正義の為なら、人はどこまでも残酷になれる。

 

 

・2 東京至上主義

これを説明するには「原宿で過ごせないとか」は別に「池袋で過ごせないとか」「田園調布で過ごせないとか」でもいい。大阪などの大都市は兎も角(大阪民国は法や秩序を理解しない下劣な野蛮人の集合体だと思っているので個人的に好きではないが)、地方や田舎で暮らす意義が薄いのは説明するまでもないだろう。

文化・流行・豊かさ…… どれを取っても地方や田舎より東京の方が遥かに優れている。自然だってちょっと東京を出れば容易にアクセス出来る。ゆえに東京或いはその近辺に住めない二級市民である事を期待されて産み落とされた子供達は、哀しく、かわいそうな存在だ。

 

ソシュールの言語論からは、言語とは差異を示すシステムという事が読み取れる。

日本語では蝶と蛾、英語ではButterflyとmothと区別するが、フランス語ではどちらもpapillonと呼ぶように。言語の比較は価値観の違いを示す。

地方のテレビ番組でもマスマディアは東京の言葉・言語ばかりを伝えるのは、そういう事だ。

 

ちなみに、テコンダー朴の原作者であり21世紀を代表する義士である白正男は、原宿をオシャレ上級者の集う街と評している。私も原宿が好きでよく訪れているし、服も原宿系のブランドを好んで選んでいる。ちなみにankorockやListenFlavorとかACDCrag辺りをよく買います。パンダ系が好きでパンダのタイツとかゾンビパンダパーカーとかパンダのジャケットとかパンダのハンカチタオルとか、めっちゃ持ってます。SAKUPANは受け付けない。

 

 

・3 青春至上主義

若さゆえの万能感、感受性の豊かさ、七難隠すみずみずしい容姿…… 青春と呼ばれる時分はそれらが備わっている最高に楽しい時間である。

ジャネーの法則に拠ると、人は20歳で一生の体感時間の半分を消費する。10代までの若い時期というのは人生の大半を決定させる程に狂気的に濃い段階だ。

青春を上手くやれれば、それは掛け替えのない成功体験となり人生を肯定するには十二分な要素となるだろう。

 

だがもしそうならなかったら、貴重な青春をドブに捨ててしまったら。

 

幼児期や青春時代に手に入れられず悔しさを覚えたものに、人は生涯執着するらしい。

マクギリス・ファリドは言う「嫉妬、憎悪、汚辱に恥辱……消えない過去に縛られて、輝かしいはずの未来は、全て、愚かしい過去の清算にのみ消費される。」

虚しい青春ゆえのオブセッションを晴らす為に人生のリソースを費やす日々へ突入せざるを得ない人間は、決して少なくない筈だ。

 

 

 

・まとめ

私はウクライナやアジアのイスラム系国を経た後、日本の文化後進地区サテライトで人生の大半を過ごした。だから原宿で一度しか無い輝かしい青春を過ごしている彼女達が、羨ましい。時折遮ってしまいたくなる程に。

彼女達にとって、私は惨めでかわいそうと哀れまれるような存在なのだろう。

 

でも

でも……!!

 

ときめきは消せないよ

すべてが奪われたとしても 何度も何度でも出会うんだから

嘘ついて生きるのは下らない...

 

わたしアンチテーゼ・エスケイプ カワイイだけじゃもう足りない!!

この手で守り抜いてみせるの!

決めた!アンチテーゼ・エスケイプ ずるい涙は武器じゃない!!

ウラハラシック! サイコー!つらぬけ!

 

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 やっぱ原宿、サイコー!!!!!

 

 めておちゃんは、闇カワイイを目指しています。

 ちなみに、余所行き用の座右の銘は「板子一枚下は地獄」です。

めておのプロフィール

謎が多いと隣近所で太鼓判が押されているので、詳細なプロフィールを載せてみます。

 

めてお

愛称:めて

性別:幼女

出身地:めてお王国  ※めてお王国は国際的に国家として承認されていない

住所:埼玉

生年月日:2007年 10月X日

趣味:おはなし

日課:3つの事を考える/タレゾの声を聞く事

好きなもの:顔の良い人とかわいいもの

座右の銘:年中めてってこ~♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

基本的な生き方:ふわふわ虚無主義/復讐

 

経歴:

2007年  めてお王国の第二王女として生まれる。

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2010年 3歳にして強烈な自我を振り回し、王国中を騒がせるおてんばっぷりを発揮する。笑顔のかわいさと高貴な身分で自国民から嫉妬と羨望の視線を一身に受けゲンナリ。

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2011年 日本のオタク文化にのめりこむ。柴田亜美高河ゆん玄鉄絢に触れ同性愛に傾倒。また介錯により美形至上主義に目覚め、日本で本場の文化に触れる事を夢想する幸せな日々を送る。

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だがその幸せも長くは続かなかった。

 

2012年 新興宗教の集会所に打ち上げ花火を撃つイタズラをしていた所、周りの草木に着火、一気に国中に燃え広がりめてお王国は混乱の渦に陥り内紛状態に。軍が鎮圧活動を行うも国は滅亡。

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めては王宮で焼けた人肉の臭いを放つ父親を目撃、その光景がトラウマに。ショックで蹲っているところを姉と女中に連れられウクライナに亡命。それ以降、不思議なことに声が聞こえるようになる。生き残る為、耐える為に3つのことを考えろという声が。そうすれば、めてはまだ生きられる。

 

2013年 ウクライナで姉と過ごす。自罰とPTSDに苦しみカウンセリングや薬物療法を受けるも、王国滅亡により精神的な問題を抱えた姉による虐待を受け更に疲弊していく。日本の文化に触れる事が心の拠り所に。幸せになる為の3つの事を考え続ける。

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2014年 クリミア危機・ウクライナ東部紛争に巻き込まれる。生きる為の3つの判断を余儀なくされる。めては日本を目指して女中と共に亡命の旅へ。姉はリトル・グリーンメンに従軍。今生の別れとなる。

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2014年 8月 イラクバグダッドイスラム忍者に弟子入り、忍法を会得する為奮闘。

イスラム忍法アッラーアクバルやイスラム忍法ボミングランなど、実践的な忍術を多数会得。

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2014年 11月 アフガニスタンで紛争に巻き込まれ、行動を共にした女中が死亡。彼女の最期の言葉は「笑顔を」 生き残る為に武装ゲリラに加担し銃を取るも、戦闘には参加せず。

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2015年 日本の鹿児島へたどり着く。国籍を取得し鹿児島で数ヶ月過ごすも余りの天外魔境ぶりに東京を目指す事を決意。

2015年 5月 大分県で地獄に迷い込む。そこで詩人ですよ。に導かれ彼岸の旅に。

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最終的に永遠の淑女の助けにより至高天に到達した刹那、天啓を受ける「この世界は悪趣味で倫理観の欠片もない異常者が創った虚無だよ~~。」

絶望がやってきて、諦めそうになった時。タレゾの3つの言葉が脳に響いた。めてお王国が滅んでから幾度となく聞こえてきた声が反芻されて、そして...

「...ZEUS!」

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きな臭い煙の中で、めての胸に残っていた愛おしい何かが凍りついて、粉々に砕けた。

 

2015年 9月 上京。東京は家賃が高いので仕方なく埼玉へと住居を構える。

 

2016年 治療を受けながら、埼玉で平穏な日々を手に入れる。

東京を周り原宿や高円寺、池袋などで笑顔を取り戻そうと奮闘しつつも、人生が途切れた哀しみとPTSD、虚無感に苦しむ。

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2017年 過去を忘れて穏やかに過ごそうと考えるも、既に忌まわしい記憶の数々は眼に焼き付き、心臓に食い込み、えぐり出す事の出来ない血肉となっていた事を悟り、運命に抗う事を決意。狂った天命への復讐を始める。

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現在  復讐の為日夜奮闘中。

 

 

めておの謎:

 

1、エピファニー

目の前の希望が沈黙した時、めてちゃんは気付いてしましました。どれだけ戦おうがどれだけ足掻こうが、結局は終焉によって全てが虚無に引きずり込まれる運命だと。現実はジョーク。これが本当である証拠は何ひとつない。全ての物理的事象は、悪趣味で倫理観のかけらもない異常者が作った仮想現実の中での出来事しかないというのが、めてちゃんが導き出した唯一の論理的結論でした。

宇宙そのものでさえ、いかなる目的も持っていない。宇宙は無から生まれ、種々の法則、定数、変えることの出来ない様々な変数がランダムに決定されるだけの虚無だと。

虚無の中で理由もなく、宇宙と同じように、ただ死ぬ為に生を受けて、しかも宇宙と違ってめてちゃんは理不尽に苦しみ続けます。痛み、孤独、恐怖、不安...

 

ならば、存在と呼ぶまやかしをことごとく破壊し、火を放ち。そして、それらの残骸の上に糞尿をかけてやる事が自分のやるべき事だとめてちゃんは決意しました。

それは思い出す為に、私達が恋していた事を。

 

2、3つのエントロピー

地獄の様な日々の中、めてちゃんの心が挫けそうになった時... めてちゃんを励まし続けたあの声の主は3つの事を考えるように言いました。

3つ... 生きる為の3つの事。楽しかった頃に帰る為の3つの事。敵を倒す為の3つの事... 考える事で、めてちゃんはまだ生きられる。きっと帰れると信じて、楽しかった頃に。だから希望を捨てずに3つの事を考えて。

めてちゃんは祈りません。やるのは笑顔を取り戻す為の計算だけです。