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真なる歴史の終焉 みゃー姉とひなたの崇高なる関係性・卓越性・エピクロス的快楽

皆様は最近アニメを楽しんでいらっしゃるだろうか。勿論めておは最近アニメが面白く、AmazonPrimeビデオで日夜アニメを見るのに大忙しである。キモータでよかった~~~!!!!!

 第1章:みやこと花ちゃん

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今回は待望の比較的マイルドなおねロリ百合アニメ(あくまで、毎話必ず何らかの犯罪行為が行われており、男の子も顔を引きつりドン引きする汚いおねロリ『うちのメイドがウザすぎる!』や前々期の純愛サイコ系(ある意味で剛速球ギャグ)おねロリアニメ 『ハッピーシュガーライフ』と比較してマイルドなので、中々ビョーキ度は高いのだが)私に天使が舞い降りた!のみゃー姉とひなたの関係性について書く。

 

尚、わたてんのアニメとしての評価は、にゃるら氏のものと殆ど同じような評価・見解なのでその辺は割愛する。めてろぐの賢明なる読者の皆様方におかれましては彼の記事を一読する事をオススメします。

nyalra.hatenablog.com

 わざわざ説明するまでもないのだが、私に天使が舞い降りた!のあらすじは斯様である

大学生の星野みやこはある日、小学5年生になる妹のひなたが連れてきたクラスメイトの白咲花に一目惚れをした。みやこは何とかして花と仲良くなろうと画策するが、重度の人見知りである彼女の不器用な行動は、花に警戒心を抱かせるばかりであった。それでもお近づきになりたいと努力するみやこに対し、花は次第に心を開いていく(Wikipediaより引用)

タイトルにある舞い降りた天使とは、メインヒロインの花ちゃんであり、確かに彼女は天使と形容するに相応しい可愛さの幼女ではある。主人公の星野みやこことみゃー姉は花ちゃんへ恋愛感情らしきものを垣間見せ、「可愛い」「天使」とぞっこんでありつつも、妹であるひなたに対してはシスコンとも言うべきレベルの熱量で姉妹愛を注いでいる。そしてひなたはみやこをみゃー姉と呼び甘え、心の底から慕っており、こちらも重度のシスコンである事が伺える。

 

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百合、やおい的な作品において、ストーカーとも取れる執着的・変態的・あるいは献身的な言動を行う同性愛者というキャラクター造形・認識が頻出する。百合作品では『ストロベリー・パニック』では涼水玉青、『神無月の巫女』では姫宮千歌音。『魔法少女まどか☆マギカ』では暁美ほむら辺りが代表的だろうか。先程おねロリアニメとして挙げた『うちのメイドがウザすぎる!』の変態ロリコンメイド鴨居つばめなどはその最たるである。

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また不朽の名作『CCさくら』の大道寺知世もそうだろう。

名台詞「きっとさくらちゃんとは違う意味の好きですけど」は百合界を支える重要なテーマをさらりと表している。

 

やおい・BLの方にも目を向けよう。『少女革命ウテナ』の暁生などは妹と寝るような変態ではあるが、少年達を変態的に導いてセックスをするバイセクシャルであるような含みを持たされている。

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実際にそのキャラクターが同性愛者ではなくとも、ファンコミュニティの間ではヤンデレレズ・ホモなどとという表現で同性愛者として語られる事が多い。

高河ゆんがキャラデザをしているのだからやおい系なのだろう。例えばガンダムOOグラハム・エーカー刹那・F・セイエイに常軌を逸した執着を見せており、実際に同性愛者かどうかは微妙なところではあるが(ギャグ色強めのドラマCDでは私は男色家だ!といつものテンションで叫んでいた)彼はほぼ99%ホモとしてファンに語られている。

 

仮面ライダージオウ』のウォズなどは同性愛者ではないだろうが、尊敬や心酔の念が強すぎる為にキャラクターをホモの文脈で語られる事が多い。演者の演技がねっとりしすぎているのもあるのだが・・・。 

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星野みやこはまさしく典型的なストーカー的同性愛者、というキャラクターである。

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花ちゃんに対して、情欲の籠もった言動を繰り返し、おいしいお菓子で餌付けする事でコスプレ写真を撮りまくる・・・花ちゃんは当然辟易としておりドン引きする事に暇がない――という関係である。

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恋愛とは人を狂わすものである。好きな人と相対すると普段のように上手くいかなくなる気持ちは私にも分かる。ウザメイドのEDの歌詞にも「気持ちが悪いと思われても とめられないのです わかってくださいね 少しだけ!」とあるように、恋をすると盲目になりキモい言動をしてしまうものである。

 

確かにルックスがドストライクな花ちゃんの微笑みは媚薬であり、立ち振舞いは麻薬としてみゃー姉に作用するだろうが、しかしながら彼女が元々いくらアカン人だからと言って、流石にビョーキが過ぎやしないだろうか?

コメディアニメに対してこんな事を言うのも無粋だとは思うのだが、まともに交際を望んでいるとは思えない。ただ、奇行蛮行が目立ちはするが、みやこの愛のひたむきさは本物なので、花ちゃんもたまにはデレてくれるのだが。

 

星野みやこと花ちゃんの関係性――「宮廷愛」「宮廷風恋愛」に近いものと私の目には映る。宮廷風恋愛とはヨーロッパの封建社会において兵士の、位の高いやんごとなき奥方に対する恋愛をさすものであり、要は結婚しており、しかも自分が仕える主人の奥方であるがゆえにその愛は禁じられ、不可能なものとされている。

価値を高め過ぎるが余り、意中の女性――わたてんで言えば花ちゃんである。彼女を天使とまで評し、価値が高まり過ぎるが余り、不可能の次元にまで昇華された愛は――その人自体への眼差しを曇らせまさしく恋における盲目を齎す。その女性を特別に理想化するがあまり有り触れた存在へと変えてしまう危険すらある。

 

まどか☆マギカの劇場版で、暁美ほむら鹿目まどかの偶像に縋り付いていた心的風景を思い出そう。その後の展開がどうなったか。身を犠牲にして魔法少女達を絶望の因果から解き放ったまどかを救おうと望むほむらと、そんな事は望まないまどか。

 

みやこの花ちゃんへの思いは本物である。

だが、彼女は恋を成就させようとはしていないのか?成就――つまりは花ちゃんと交際をすること、セックスをすること。コスプレさせて、眺めて、写真を撮るだけで十分なのだろうか。ちなみに「セックス・性行為をすれば百合ではなくジャンルとしてはレズ」「そもそもギャグ作品」「そもそも花ちゃんは小学生だからセックスまではアカン」という意見は作品を読む態度として私は認めない。断固として退けさせて頂く。

 

私は原作を読んでいないし、まだ放送途中のアニメを6話まで見ただけのにわかである。みやこと花の恋愛についてこれ以上言及する事は愚かしく、ナンセンスである。

 

だが一つ、蛇足を付け加えよう。私は蛇足ばかり書いており、蛇足は私の友である。

少年漫画の名作、めだかボックスの不知火半袖の痺れる台詞を引いてそろそろ本題に入ろう。

「正義と違って必ずしも」「愛は勝たなくてもいい。」

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みやこの花ちゃんへの愛の形は勝たなくてもいいものなのかも知れない。

キルケゴールレギーネへの愛を完遂不可能なものとし、いきなり婚約を破棄した。

ゆえに、彼は例外となった。例外者となった愛は崇高の域へ達した。

 

さて、ここからが本題である。

みやこ――みゃー姉とその妹ひなたの関係性は直視出来ない程に崇高である。その崇高性が歴史の終焉を齎す程に。

 

 

第2章:みやことひなた

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みゃー姉とひなたはお互いにシスコンとも言える熱量の姉妹愛を貪りあっている。

だがみゃー姉は花ちゃんと同様、ひなたにもコスプレをさせており、妹としてではなく可愛らしい女子小学生と認識しての、ビョーキでロリコンな眼差しも向けている。だが決して花に見せるような変態性の発露はなく、むしろ現実の姉妹でもありそうな微笑ましい光景ですらある。

 

ひなたはみゃー姉の事を大変慕っている。きらら系ではなくれっきとした百合姫のお墨付き作品である事をひしひしと感じる程に重みがある。みやこへの変態レズストーカー松本と「みゃー姉は洋服もお菓子も作れるし可愛いしスタイルもいいし優しい」という事で意気投合しており、クラスメイト達に日常的にみやこの素晴らしさを説いている為に、実際にみやこと会った事とない人達は、実際はダメ人間的要素の多いみやこの事を完璧超人だと評価してしまっている。

 

ひなたが説きクラスメイト達が夢見ているみゃー姉の素晴らしさと、花ちゃんや乃愛ちゃんのみゃーさんへの評価は乖離しているものではあるが、ひなたはその認識に疑いを持っているようには到底見受けられない。だがニートと思い込んでいたようではあるし、理想的に美化しているとも言い難い

そしてみゃー姉の事を慕っており、日常的に一緒に寝る事をせがんだり、構って貰えないと激しく落ち込んでしまう程に依存もしているのだが――花に嫉妬の感情を抱いている素振りなどおくびにも出ないし、明るく天真爛漫な彼女の事である。実際他の女児に対して暗い感情を抱いたりなどはしていないだろう。

 

栗本薫は、初恋は高2の時のクラスメイトの女の子だったと述べている。

  あこがれ、というには美化していなかった。彼女の肩のフケまでちゃんと気がついていた。幻想に恋している、というには、夢見る事が少なかった。それでいて、何の新しい発展もなく、その思いは二年間もの間、つづいた。中島梓 美少年学入門 174P)

私の勝手な想像ではあるが、この二年間――一番幸せとは言うまい。しかし栗本薫がしてきたどんな恋愛よりも心地よかったのではないか。理想化し切れない現実をそのまま眺めることは、やろうとして出来るものではない。

 

二人の間に交わされるやり取り、眼差し、ふれあい。

恋の熱病に浮かれているような人間の性急さ、過剰さもそこには見当たらない。そこに在るのが世界の真理のように共に居て、特に理由もなく当然のように触れ合い、姉妹の愛を交わす。愛情ゆえに激情を迸らせる事も殆どない。みゃー姉とひなた二人の空間は――過不足のない中庸、ゆえに満ち足りた、理想的な世界ではないだろうか?

古代ギリシャの哲学者エピクロスは賢明だった。行き過ぎた欲望は却って不幸を招く事を知っていた。刹那的、享楽的快楽の追求は、結果的に更なる不快と苦痛を生み出す。真の快とは、精神的なものであって徳と不可分であり、節制に基づく心の平穏(アタラクシア)である。宗教徒が聖者の糞を飲み込む事には意味があるかもしれない。だが余りにも馬鹿げている。

 

アンティゴネはポリュネイケスの亡骸に土を掛ける。

兄の弔いの為、神の法の要請の為、そして自身の享楽の為に亡き兄の亡骸へ土を掛ける――それが禁じられていたとしても。ゆえに命を落とす事となるとしても。

 

知足者富

 

さて、みやこのように花ちゃんを愛す事――もし花ちゃんのような少女が現実にいると仮定し、劇中でみやこがするように愛を向ける事は、恐らく可能だろう。法律や警察が邪魔で難しいかも知れないが、実現不可能ではない。その時、花ちゃんのような女の子がどう思うか――火を見るより明らかだ、劇中の花ちゃんの如く、あるいはそれ以上に不快感を表すだろう。

だがみやこのようにひなたを愛して、それと同じようにひなたのようにみやこを愛する事――どんな気持ちがするのだろう。想像はつくかも知れない、だが余りにも自信が無く、その想像を支える根拠は心許ない。何故なら私達は楽園にいた事があったとして、そんな昔の事はとうの昔に忘れてしまったのだから。ならば想像はつかないと言ってしまえるのではないか・・・。

 

プラトン的な愛として欠如していなければならないもの――性愛。(あくまで俗世でのプラトニックの定義として、だが時として百合の必要条件となるものである。)

肉欲の籠もった薫りは二人の間からは当然見受けられない。性関係は存在しない。

それでいてお互いに盛んにスキンシップを行い、溶け合うような皮膚感覚を求め合う姿――愛という形のイデーのような、理想形のように思えないだろうか?

楽園<エデン>や・・・(アニメ版ウルフウッド)

そういった意味で、みゃー姉とひなたの関係には卓越性があるのである。この崇高で卓越した関係性は、非常にユートピア的である。人間の常だがいつも楽園から追放されている。だが、実際そこが楽園であるならば、それはヘーゲル哲学における【具体的普遍性】として機能する。

 

みやことひなたが触れ合う姿は、まるで言語に切り刻まれる以前の、母親の胎内で全てが満ちた赤ん坊のように完璧で、何の不快感もない世界。私達は<大文字の他者>に禁止を命じられ去勢された存在であり、楽園から追放された斜線を惹かれた主体である。

ゆえにもうとっくの昔に楽園の事など想像もつかないのである。だからイマヌエル・カントの視点に立って見よう。完璧には理解し得ないものこそ崇高である。理解しえないからこそ、切り刻まれた私達の傷を塞ぎ現実界を歪めるのである。

 

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いつの間にか違えてしまった幸福への道に、穢れてしまった我々は立ち戻れないと、曇りなき青い空を見上げ嘆くのは止めようではないか!

ビョーキでネクラ族のOTACKY男性とは違った視点で、ある種の少女まんが家達は幼い少女を理想的な姿として描く。彼女達はビョーキでネクラ族のOTACKYとは違い、アガルマと正義を見出し真正面から向き合っているのだ。

ああ、我々は社会的イデオロギーに鋳直され圧服させられている。我々も止そう、ジュディス・バトラー的な撹乱の一種だとしても、実現不可能がゆえに崇高なる自我理想と理想自我を媒介する美しき少女でありたいという願いを抱く神聖なる同志を、ビョーキのネクラ族のOTACKYと同病相哀れみシニカルに笑うのは・・・。

 

きらら系アニメ、美少女アニメはよく難民キャンプに例えられる。

奈落を徘徊する我々は傷付いた身体一つを、アサイラムに飛び込んで束の間の心地良さを得る訳だ。私も画面に映る天使を見る。そうしてまた手に負えない明日へ決意して我が身を投げ込むのだ。正義というタイトロープを歩く者は皆私の友である。

 

第3章:崇高なる最後の歴史の終焉

女同士の性愛を描いた小説『白い薔薇の淵まで』で繰り広げられる愛憎は、決して幸せとは言えないような痛々しい享楽に満ちたものである。この作品の冒頭は、10年以上前に自殺した恋人の小説にたまたま出会い、幸せだったころに思いを馳せる場面から始まり、そして唐突に思い出す。宇宙飛行士の遭難を描いたドラマか芝居で聞いたフレーズを。

「帰りたいだろうな、地球に」「帰れるものなら」「帰れるものなら」「帰れるものなら」

苦痛に満ちた時でも、大きな幸せがあったなら私も帰りたい。帰れるものなら。

ならば、もっと崇高なる原初的な楽園に帰れるものなら、どんなに幸せだろう。

 

フランシス・フクヤマは民主主義と共に資本主義が社会主義を駆逐した事を受け、歴史の終焉というユートピアを示した。だが皆様はもうご存知だろう!ユートピアの首は切り落とされた・・・脆弱なるリベラル民主主義の政治ユートピアに限っての話だが。

グローバル資本主義の経済ユートピアはびくともしておらず、我々アニメを見るようなリベラルや左翼達はビョーキ扱いされる始末である。我々は安倍晋三の支持者のタマを汚すくらいしか出来ていない。歴史の終焉は終焉し、<大文字の資本>という巨大な魔物がひっきりなしに人間達の血肉を喰らい貪り世界精神を蹂躙している。

「人間自身の行為が人間にとって疎遠な、対抗的な威力となり、人間がそれを支配するのではなく、この威力の方が人間を圧服する」(ドイツ・イデオロギー

 

歴史は終わっておらず、我々は未だに発展途上の地獄へ居るのだ。楽園に帰りたい。帰れるものなら。帰れるものなら。帰れるものなら。ならばやるべき事は何だろうか。

ああ、もし<コミュニズム>という神話の英雄が、<大文字の資本>という恐ろしいリヴァイアサンの首を刎ねてくれるなら・・・地獄は終わり、煉獄で地獄のツケを清め、天国へ上り、至高天(エンピレオ)という真なる歴史の終焉を迎えられるのだろうか?

 

――ええ、難しい話でしょう!!!!

引用し記事を書いた事もあるが、大切な事なので再度引用する。

ジェイムソンはこの神話を払いのけつつ、こう力説する。コミュニズムにおいては、まさにそれが公正な社会であるかぎりにおいて、ねたみと怨嗟が爆発的に増大するのだ、と。なぜだろうか。

ジャン=ピエール・デュプイは、ジョン・ロールズの正義論に対して次のような説得力ある批判をしている。ロールズの理想とする公正な社会では、社会的不平等が、社会階層の底辺の人々にとって助けにもなっているかぎりにおいて、また、ヒエラルキーの伝承ではなく自然の不平等――これは偶発的に生じたとみなされる不平等であって能力差ではない――にもとづくかぎりにおいて、許容されてしまう、と。だが、ロールズにみえていないのは、そうした社会がいかに抑えのきかない怨嗟(ルサンチマン)の暴発の温床となるかということである。要するに、この社会では、わたしがほかのひとよりも劣った地位に置かれるのは完全に「正当化」されるのであり、そのためわたしは、自分の失敗を社会の不正のせいにする機会を奪われるのである。

ロールズは、もって生まれた性質においてヒエラルキーがあからさまに正当化されるという恐ろしい社会モデルを提示する。これによって彼はフリードリッヒ・ハイエクの重要な教えを見逃してしまう――すなわち、不平等は非個人的で盲目的な力によってもたらされると主張できたほうが、不平等を受け入れるのはずっとたやすくなる、という教えを。

市場の「不合理性」そして資本主義における成功と失敗の「不合理性」のよいところは、これによってひとは自分の失敗や成功を「不当」で偶発的なものとみなせる、ということである。市場とは、計り知れない<運命の女神>の現代版であるというおなじみの見方を思い出そう。要するに、資本主義は「公正」ではないという事実は、資本主義を受け入れることを可能にする重要な特質なのである。

 スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気 グローバル資本主義原理主義ポピュリズム』90・91項より

グローバル資本主義の経済ユートピアという怪物を倒しても、まだ楽園には辿り着けない。散々地獄めぐりをさせられて、やっとの思いでコキュートスを超えたとして、さぁお楽しみの懺悔の時間である。煉獄で苦痛に耐え罪を清める浄罪の炎で焼かれる時がやってきた!!!!

 

・・・もう、勘弁して欲しい。そもそも地獄巡りが私が死ぬまでに終わるかどうかすら定かではないのだ。早く幸せになりたい。楽園に帰りたい。みゃー姉とひなたちゃんみたいになりたい。思い出せ、思い出せ、コミュニズムが勝利した世界ですら、<大文字の資本>が猛威を振るう事を止めた世界でも、私達は幸せになれない事は私達自身がよく知っているのではないだろうか。――決して何者にもなれなかった私達自身が一番よく。

 

ならば何をなすべきか?懐かしいマルクスエンゲルスの答えを常に顧みよう!!

 「人間自身の行為が人間にとって疎遠な、対抗的な威力となり、人間がそれを支配するのではなく、この威力の方が人間を圧服する」

みゃー姉とひなたのようになる為には――想像もつかない。想像もつかないが二人の関係性をどう呼べばいいかは明白であろう。「愛」である。

どうすればいいのか分からない。今はまだ絶望するのみである。でもそこから始めよう。愛の威力で人間共を圧服するのである。

 

愛のアニメ、輪るピングドラムの最終話の台詞を絶えず顧みよう。

 「たとえ運命がすべて奪っても、
 愛された子供はきっと幸せを見つけられる

 

勇気付けられる感動的な台詞である。これを更に補強する為に、私の最も好きな映画、V・フォー・ヴェンデッタの象徴的なシーンを紹介しよう!!!ちなみにジジェクはこの映画の続きを見られるなら母親を奴隷商人に売り飛ばしても構わないらしい。

 

独裁者アダム・サトラーによってファシスト国家と化したイングランドで、テロリストVに協力した嫌疑で女性イヴィーは逮捕されてしまう。イヴィーは牢屋の中で、同性愛者という理由で逮捕され処刑された女優V... ヴァレリーの日記を見つける。

ヴァレリーは共に薔薇を育てて過ごした恋人ルースを処刑された。それでも人生で一番幸せな時間を胸に耐え続けた。やがて自分が処刑される時となった、だが身体が消えても不滅のものがある。一緒に笑う事も泣く事も愛し合う事もない手紙を読んでいるあなたを、心から愛しているというメッセージを最後に手紙は終わる。

イヴィーは黙秘を貫いたまま処刑される覚悟を決める。

 

我々は真なる愛に触れる事はむずかしい。本当に好きな人と付き合う事すら難しく、愛情を分かち合うどころか思っている事を真に分かり合う事もきっと出来ないばかりだろう。クアンタムバーストでもしなければ。我々は崇高なる愛を求めている。崇高なる愛させあれば、きっとずっと生きていける。

・・・みゃー姉×ひなた!!!!!

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本物の愛があるとするならば、ヘーゲル哲学における【具体的普遍性】として機能する!!ならば、歴史の終焉に踏み込めば、ようやく我々が待ち望んだ楽園に触れる事が出来るのである。さぁ、歴史を進めようではないか。世界精神がどう在るか、我々はもう知っている。我々に天使が舞い降りた!!

 

我々こそは、天使と共にある!!

我々こそが我々が待ち望んだ存在である!!!

 

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私もささやかながら、貴殿らの力添えをしたい。

レイピアをプレゼント♡ ここだけの秘密だよ・・・(国家権力に捕まらぬよう)

 

偉大なるヘーゲルは歴史を「世界の全ての展開が、精神の営みとして生じる葛藤、そして葛藤を克服して完成を目指す弁証法の中で形成される世界精神の道程」とした。

マルクスエンゲルスは、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」とコミュニスト宣言で高らかに吠えた!

社会学ノルベルト・エリアスは文明の発展を「野蛮」が駆逐される過程とし、それには差異化と広範囲への侵食が伴うと見做した。フクヤマの歴史の終焉は何度も否定されてきては、まだ微かにしぶとくも生き残っている。そろそろ息の根を止めてやらなければ見るに堪えないだろう。

さぁ、歴史を進めようではないか。楽園へ帰る為に。今度こそ歴史を終わらす為に。

 

我々は進歩主義の実践者である、進歩の果ての楽園を求める。

あらゆる野蛮を切り落とし、あらゆる罪を剥ぎ取る刃を以って進むものである。

 

具体的に、それがどんな形をして行われるのかは今はまだ分からない。

ただ一歩ずつ歴史を進めよう。大丈夫、天使が舞い降りた。世界精神は共にある。

わたてんは我々にそれを教えてくれた。

 

崇高なる最後の歴史の終焉において、魂と肉体が合致した状態で生まれ、幸せを味合う来世の私(→)を偉大なる世界最高民族の預言者が神託を受けイラストにしたものである。

サンリオオッサンでオフ会した件wwwwwww Part3-2

安倍晋羅万三へと勢いよく飛びかかった菅直人!!!

「こんな人に負ける訳にはいかないッ!!」

安倍はエネルギーフィールドを発生させながら四股立ちで構える!

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だが菅の強烈な蹴りの勢いは止まらず安倍に直撃!!!吹き飛ばされて壁に叩きつけられる森羅万象大臣は攻撃を食らった事に意外そうな顔をしている。

 「森羅万象へアクセスして攻撃を読んだ筈なのに防ぎきれないとは、まことに遺憾でありまして、総理大臣として、忸怩たる思いであります!

 

管は鼻で笑いながら次の攻撃へ移ろうとしている。

「おい安倍・・・お前まともにケンカなんかした事ねーだろ? 俺は学生運動で数えきれない程の権力の犬と戦ってきたぜ。世襲のボンボン馬鹿議員が妙な力を使おうとも相手にならねーよ。」

確かに菅直人の言う通りだ。彼ほど殺人経験の豊富な議員はいない。幾ら安倍が森羅万象にアクセスし干渉する事が出来るからと言って実戦経験が違い過ぎるのだ!

 

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すかさず追撃の構えを取り空中に飛び出した菅が叫ぶ「このファシスト・・・戦争犯罪人をこれ以上野放しにしている訳にはいかない!!革命的ゲバルトでA級戦犯岸信介の下に送ってやる!!!

 

負けじと再び安倍晋羅万三も力を解放!

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「 森羅万象と繋がることは、死のイデーとも直結しているという事であります!」

 

丁々発止の打撃戦を繰り広げる安倍晋羅万三と菅直人!!!

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「真っ当な政治を取り戻す!!!シャイニングフィンガーソード!!!!!」

菅直人の決意が森羅万象を上回った!!完全に安倍の腹部を捉える菅!!!」

 

やったか!?

 

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菅が安倍を貫かんとするその刹那、ついにSEIKINが動いた!!!

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